投資で大切な考え方 「期待値」 ~ギャンブル編~

私が投資をする上で大切にしている考え方「期待値」について

書きたいと思います。

 

私が「期待値」という言葉に出会ったのは(また別のブログで詳しく書くつもりですが)学生時代にハマっていたパチスロです。

パチンコ・パチスロは日本で最も遊ばれている金銭の絡んだ「ギャンブル」(Not 投資)です。

パチンコ・パチスロの是非についてこのブログで論じるつもりはないですが、ギャンブルの考え方は投資の考え方に通じるところがあります。

 

「期待値」というのは、定義上は「投じたコストに対して戻ってくる「見込み」のリターン」という意味です。

例えば競馬だと目をつむって競馬新聞に載っているあるレースの馬の番号を選んで100円を単勝で買い続けるとします。ずーっとこれを続けるとして総掛け金が100億円に達したとき、それまでに返ってきた振戻金はだいたい80億円になっています。20億円はJRAの取り分です。ランダムに馬を選んでいくと必ず上記のようになってきます。

宝くじだと、3000億円くらい買うと1500億円分くらい当選するといった感じです。

 

このとき競馬の「100円の単勝」を買った場合の期待値は「-20円」です。

(100円買うと同時に20円損する)

宝くじの場合は「300円の宝くじを一枚」を買った場合の期待値は「-150円」です。

(300円分買うと同時に150円損する)

イメージしにくいですが、これが期待値です。(いったんここで期待値の話おわり)

 

しかしですね、ここで「絶対損するギャンブルするやつってほんまアホ」と思っちゃうのですが、実は、私も含めて大半のギャンブルする人は上記のことを知っていてやっています。ではなぜギャンブルしちゃうんでしょうか?

 

それは「人は感情を動かすことにお金を払う生き物」だからです。

 

映画を見るのはホラーであれ、恋愛映画であれ、サスペンスであれ、はらはらどきどきしたいから見ます。

宝くじも一緒で、くじの当選日まで、はらはらどきどき(うきうき)します。

つまりギャンブル全般は映画や、コンサートやライブと同じサービス業の一つということです。

 

でも、なぜ世間でギャンブルはこんなに目の敵にされているのでしょう?(だんだん話がそれていく。。。) 

それは、カジノ法案でも論点になっているようにギャンブルの依存性、衝動性、継続性、そして掛け金に耐性が付いちゃって掛け金が膨らんでくる。のが他のサービス業と違うところだからです。(キャバクラ、A○B商法、ソシャゲ課金と若干似ているところはある。)

 

ギャンブルは依存状態に陥ると、もう期待値という概念が頭からすっ飛んでしまい、ひたすら脳内アドレナリンが分泌される金額分に達するまでお金を積みます。

ギャンブルをした一回目、二回目と同じ感動を得るための金額が上がっていき、最後には自分でコントロールできなくなっていきます。

 

これを防ぐのに依存状態になる前にほどほど気持ちいゾーンを自分で探すことです。(そもそもしないこと。といいたいところですが、死ぬまでにギャンブルの楽しさというものも味わっておきたいですよね。)

 

宝くじだと3000円分買ったときと6000円分買ったときどちらがどきどきできるでしょうか?どちらも同じだったら3000円分にしときましょう。これが宝くじのもっともコスパの良い買い方です。(買わなかったらどきどきできないし、300円ぽっち買っただけでもどきどき出来ない)

 

つまり、今回言いたかったことはギャンブルとは金銭的に見て期待値に-(マイナス)の符号がついている行為にお金を払っており、それがリターン(満足度)と釣り合っていたら良いサービスを受けていることになるが、その均衡が崩れ、満足度に対して払っている金額が大きくなるとそれこそお金をドブに捨てている愚行ということです。

 

ギャンブルはほどほどに、、、というすごく面白くない結論になりましたわ。

 

次回ももうちょっと期待値について書かせて下さい。

 

ではまたの機会に!